実像と虚像(1)
2023年5月22日を以ってKing&Princeの平野紫耀が
所属していたジャニーズ事務所を退所した。
その退所の理由は、当事者である本人達も
かねてから応援していたKing&Princeのファン(以下ティアラ)も
到底納得できるものではなかったが
自分が応援しているタレントが決めたこと、進もうと決めた道なのだから。と、
受け入れよう、受け入れざるを得ないと思った。
気持ちの整理もつかないまま、
あっけなく退所を発表した11月から半年が過ぎ
平野紫耀は退所してしまった。
よくある、所属事務所との利害の不一致、ゴタゴタ・・・
そんな理由、そんなことが起きそうな本人の性格であれば
もっと素直に受け入れ、もっと簡単に今後も平野紫耀を応援していく
そんな気持ちになれただろう。
なぜ、それがこんなにも受け入れ難く、理解してあげることができないのか。
それは、彼がジャニーズ事務所に所属していた理由が
今は亡き、ジャニー喜多川社長との夢を果たすためでもあったはずだったからだった。
彼は、本当に自分の意思で退所を望んだのか。
自分のこれからの人生のため、ジャニーズを辞める決断を、自分の意思で・・・。
彼は、ジャニーズの代名詞と言える「オーディション」での
入所ではない。
名古屋のダンススクール時代に合宿先の振付師の紹介で
ジャニーさんと出会ったのは、有名な話である。
そう、17歳の彼は「ジャニーズ」ひいては「アイドル」に対して
なんの憧れも抱いていなかっただろう。
入所直後のインタビューでも「山下智久」がジャニーズのタレントであることを知った、
デビュー時に参加したSexyZoneの楽曲を1曲も知らなかったなど、
ジャニーズとは無縁の人生であったことを語っている。
その入所経歴を考えると彼が「ジャニーズ」にこだわる理由など
他の所属タレントと比べても小さいことに間違いはなかった。
もちろん、ジャニーズ入所はのちに今後国民的アイドルにまで一緒に登り詰める
戦友であり、親友の5人との運命的な出会いのきっかけであり、
彼に「ジャニーズ」の「アイドル」であることの楽しさ、厳しさを
見出し、支えてくれた関西ジャニーズJr,時代の
現Snoe Manの向井康二やジャニーズWESTの7人、なにわ男子の大西、西畑ら
メンバーとの出会いも彼の人生を大きく変えただろう。
でも、気の合う仲間、一緒に切磋琢磨できるメンバーと
彼、彼らの実力があれば
正直、所属事務所は数多であり
事務所の圧力や暗黙の了解があったとしても
パフォーマンスは数年あればきっとほとんど今まで通り
行えるようなところまで引き上げることができたし、
今までの彼らの仕事ぶりを見て評価し、支えてくれる
関係者、スタッフが多いことが
こんなにいちファンの目から見ていても明らかなグループは
唯一無二と言っても過言ではなかった。
当初は、私もジャニーズでの名前も、今までの楽曲も
一旦投げ出してもいいから5人(6人)のままでいてほしいと望んだ。
それほど、「King&Prince」であることではなく、
この6人が一緒に楽しくパフォーマンスする姿を応援できれば
ドラマに出なくても、歌番組に出れなくても、TV番組で姿を見れなくても、
そんなことはどうだってよかった。
今はSNSもあり、離れていても応援の仕方は様々だから。
でも、何度目かのジュニア戦国時代と言われた
ジュニアが飽和し、混沌とした期間から抜け出しデビューする時に
ジャニーさんと約束したのだ。
「自分たちのパフォーマンスの方向性は自分たちで決める。」
そして、ジャニーさんの悲願であったプロヂュースしたタレントを
世界で活躍させるという夢を叶えるとジャニーさんに誓った。
彼らはデビュー当時から今後の目標を問われると
「ミリオン達成」「5大ドームツアー」と、
いわゆる国民的アイドルが到達する規模での目標に加え
「世界にいく」とデビュー当初から口にしていた。
周知の通り、誰一人として知的とは言えず、英語も話せない状態だったが
忙しい合間を縫いながら英会話も練習も、ダンスもボイトレも続けた。
そう、「KIng&Prince」の目標の照準はいつだって
「ジャニーズを代表する国民的アイドルのなること」ではなく、
「ジャニーズの名前を背負って海外で戦う」ことだった。
日本国内のアイドルに求められてきた
親近感・愛嬌・バラエティー力 演技力 といったタレント性で勝負するのではなく
ダンス、歌 本物のパフォーマンス力で「日本の男性アイドル」の枠を超え